菅谷不動尊と荘厳寺の宝物

菅谷不動尊と荘厳寺の宝物

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菅谷不動尊は成田不動尊とともに日本三不動の一つ

  • 菅谷不動尊
  • 菅谷不動尊
菅谷不動尊は、インド伝来の不動尊で、伝教大師最澄が唐から請来し、比叡山延暦寺の不動堂に安置されていたものである。

平治元年(一一五九)源義朝の末弟「慈應護念上人」はその不動堂にこもって専心修行していたが、平治の乱によって兄義朝が討たれ、その子等も六条河原で処刑されたり、伊豆に流され、さらに残党狩りのため不動堂の護念上人も襲われたが、連よく谷底に閼伽水を汲みに行っていたために難を逃れた。
帰ってみると、堂内は荒らされ、御本尊様は横倒しになっていたため、自分が追われていることを知った上人は、日頃信心していた不動明王と別れがたく、そのお頭を笈に納めて比叡を下り廻国行脚の旅に出た。
それから二十六年、源氏によって平家が滅ぼされた丈治元年(一一八五)、越後の国蒲原郡の菅谷の村を歩いていた護念上人は、急に背中のお不動様が重く感じ、道のそばにあった松の枝に笈を掛け、その下で休んでいたが、いつの間にかうとうとと眠ってしまった。 すると、夢の中にお不動様が現れ、「われここにぞ止まるべし」と仰せになった。
驚いて目を覚ました上人は枝にかけた笈に合掌しこの地に不動尊をまつろうと決心し草庵を造りお不動様を安置した。
これが現在新発田市菅谷にある菅谷不動尊の開基である。頼朝が幕府を聞く七年前のことであった。

建久三年、西暦千百九十二年、頼朝は征夷大将軍となり、文字通り源氏の頭領となったが、それから三年後の建久六年(一一九五)、十月十一日、越後の国菅谷から護念上人が鎌倉へ上って来た。 そして、頼朝と対面。頼朝は叔父の護念上人と知り、大喜びで対面したと言われる。
護念上人滞在四日目の十五日、頼朝公の姫君「大姫」が体調を崩され、寝食常でなく、床に臥せっていた。 そこで頼朝公の仰せによって護念上人が御祈祷申し上げると、たちまち大姫は恢復した。

頼朝公はことのほか喜んで、仏法興隆のために何かしてあげられるものはないか、あるいは不動尊のために荘 園をご寄贈したいが、といいますと、上人は、いや、私ごとき凡愚にはもったいないこと、といって辞退した。
その月の二十八日、護念上人は、都は賑やかすぎて私にはふさわしからず、と言って越後の国へ帰っていった。 これらのことは吾妻鏡の第十五巻建久六年十月の条に記されいる。
その後、菅谷不動尊は落雷によって伽藍が焼失するが、その時、里のタニシが本尊のお頭を守り無事であったために、タニシ不動と呼ばれるようになった。 実朝は、かねてから父の話を聞いていたので、父の果たせなかった恩を返すべく伽藍を再建した。 このことも吾妻鏡に載せられている。

時は移り、明治の初め、廢佛毀釋の運動が激しく、仏教は大きな痛手をこうむった。 各宗派は再興を願い仏教興隆のために活発に動いた。 新潟の菅谷不動尊でも、各地の出開帳を盛んにおこなった。
北横宿の大和屋の主人・佐藤要助氏は、新潟県の出身ということもあって、菅谷不動尊の出開帳を依頼した。 そこで、荘厳寺への出開帳が実現し、菅谷寺から菅谷栄正という僧侶が来て境内で柴燈護摩が修行され火渡りの行が行われた。

これを見た佐原の人たちは大いに驚き、近郷近在へと喧伝された。
火渡りは何度も行われ、信者数千人が集まったと言われる。
そこで、佐原にも菅谷不動堂を建立し永く信仰しようではないかとの発案があり、佐藤要助氏が中心となって町の名士や名家、商店、信者に声をかけ、寄付を募った。 一方、越後の菅谷寺から御分容の許しをいただき、新寺建立のための千葉県知事の許可を取るなど様々な苦労の末、ようやく不動堂の建立にこぎつけた。

明治十八年十一月十八日、ようやく菅谷寺山岸経應上人が御分容を護持し、利根川を下って佐原にいたり、この不動堂にご本尊様を安置し、多くの信者の夢がここにかなったのであった。

その他の宝物

  • 山岡鉄舟の扁額

    不動堂が建立された明治十八年ころ、鉄舟は茨城県の初代知事だった。酒好きの鉄舟はよく潮来に遊びに来ていたが、それを知っていた建立世話人が揮毫を依頼したもの。

  • 荘厳寺本尊・波きり不動尊立像

    荘厳寺の開基は寛永時代とされるが、この不動尊はもっと古いものだとされている。波きり不動尊として、戦国時代に利根の水運の無事と繁栄を祈るために作られたものと思われる。 近隣では不動尊の立像は珍しい。平成十七年に修復され、その際、江戸の正徳年間に今井左近の手によって修理されたことが分かった。

  • 大般若経六百巻

    寛政九年に当時の佐原新宿町民の寄付によって求められたものである。この各巻巻末に寄付者の芳名が記されており、 当時の新宿の代官、商人、職人たちの名前がずらりと並んでおり、当時をしのぶ一つの資料となっている。

  • 霊験あらたか・水洗い地蔵

    不動堂に向かって右前方にある地蔵尊。江戸時代より信仰されており、自分の病んでいる部分に合わせて、地蔵尊の体の部分を水で洗うと治癒すると言われており、 地蔵尊は長い年月を経てあちこちが摩擦している。

  • 真言宗 荘厳寺

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